2015年版の発行時にかなり話題となった「マニュアルの是非論」、品質マニュアルや環境マニュアルの是非論です。
規格の解釈論はさておき、いまでも時々「ISOの弊害はマニュアルだ!」「マニュアルは審査にしか役立たない!/審査員のために作る!」という意見を耳にします。「マニュアル=悪」の声です。
ここで「悪」と称されるマニュアルとは、「規格文を丸写ししたマニュアル」「コンサルタントが作成したサンプルのままのマニュアル」なのでしょう。
ですが、マニュアルの是非を論じる際に、この「〇〇〇なマニュアル」という前置きが吹っ飛ばされることが多く、とても残念です。
私は、マニュアル(良いマニュアル)の定義を「規格要求に対して、自社ではどのように対応しているか、或いはどの記録が当てはまるかを文書にしたもの」と説明しています(すみません当たり前で)。
では、誰のために作るのか?当然、組織でISO運用を担う人達のためです。特に、仕組みを見直す時や事務局が交代するときには大いに役立つでしょう。悪いマニュアルは自社だけではなく、審査員にとっても意味がありません(すみません、乱暴な言い方で)。
「良いマニュアルだな〜」と感心したことがあります。それは、規格要求番号とタイトルを縦軸に、自社で当てはまる業務を自分たちの言葉で短文(1行程度)で、或いは作成する記録を使用する順番を含めて横軸で記した表形式のマニュアルです。どこにも規格文はありませんでした。もちろん、業種や組織規模等によって合う・合わないはありますが、その組織にはピッタリでした。
今更ながらのマニュアル是非論でしたが、この件を問わず「前置きを吹っ飛ばした単純な是非論」に強い違和感を持つタチの審査員のつぶやきでした。